ゆめをたべてく

いろんな好きを掛け持ちする飽き性

勝手な感情

ファンの思いなんて所詮、勝手だ。
応援する気持ちが、その高いテンションがいつまで続くのかなんて本人にもわからない。
だけど“ファンでもなかったくせに感情を揺らがせるただの視聴者”はもっと勝手なんじゃないかって思う。

今日、HDDに録画したベストヒット歌謡祭の編集をしていた。
WaTが歌ってるところを久しぶりに見た。

泣いた、なぜかものすごく泣いた。

正直そこまでWaTのファンだったわけじゃない。「僕のキモチ」は歌えるけど、それ以外の曲は、あった気もするなぁ、懐かしいなぁ、くらい。三太さんのブログ(http://atnnnas.hatenablog.com)に影響されて小池徹平さんの出てるデスノートミュージカルを観に行って、本物見たテンションでブックオフでWaTのPV集DVD買ったくらい。(笑)

これまでに、本人たちに届くお金は一円も払ってない。あ、カラオケは歌ってるか。でもきっと最後に出るアルバムも、買わないだろうなって思ってる。

それなのになんでだろう。こんなにさみしい。

「僕のキモチ」が発売された頃私は高校生だった。徹平ちゃんが泣いたMステを見てた。紅白ではいろいろ大変そうだった。

今10年ぶりに見る、大人になった、自分と同じだけ歳をとった2人を見てこんなにも微笑ましく思うのに。
10年の時を越えて歌われる「僕のキモチ」がとても心にしみるのに。

もうすぐこの2人は1人と1人になってしまう。
それがどうしようもなくさみしい。

いかに難しいのか。そう思った。
音楽と他の活動を両立させることが。それを続けることが。

「100%の力を出すのが難しくなってきた」と言った。いつか活動再開しようと思い続けてきた期間を経て今、冷静に、「自分(たち)の限界が見えた」ということなのかなと思った。
音楽でお金をもらう立場に居続けることが、商売として成立するものであることが、そのクオリティをキープしながら作り続けて発信し続けることが、いかに難しいものなのか。改めて突きつけられたような気がしている。

わざわざ「解散」しなくても、あえて別れを告げなくても、このまま自然消滅することだってきっとできたのかもしれない。だけどちゃんと自分たちの手で幕を引く彼らは立派だ。事務所からの通達でもなく、どこかのスクープなどでもなく、ファンに直接自分たちの口から「終わり」を告げる姿はとてもかっこいい。
でもそんなかっこよさ、いらなかったのに、と思ってしまう。活動しなくてもいつまでも2人はWaTでいてほしかった。

ファンでもなかったくせに、私なんかがこんなこと思うのもおかしな話かもしれない。
でも、青春のひとかけらにWaTは確実にいたんです。活動再開、嬉しかったんです。だからとても、さみしい。

そのさみしさを思って、そしてこれまでちゃんと応援してきた幾多のWaTファンの皆様の心境を思うと、涙出てくるなぁ。

勝手なファンでもないただの視聴者が願うのは、どうか彼らとファンの皆様に幸せな未来が待っていますように、ということだけ。


ファンって何なんだろう - 世界の中心はここだ

この記事を読んでとても泣いたけど、ファンでもない私はもっと、何なんだろうな。