ゆめをたべてく

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必要とすることは希望、されることは意味 ――直虎35話感想

(ツイートからひっぱったり改変したりで構成めちゃくちゃですがとりあえずあげる!)


鈴木重時氏にあげる経の声が本当に本当に美しく、直虎が柴咲コウさんである意味を見た。
この鈴木氏の討ち死にについて、前回の話だけど、和尚様に「但馬を生きて返す方法を」と言われた後、「では行って参ります」と言った時の目がすごく虚ろだった。最初見た時、一瞬、この人は戦に死にに行くつもりなのかなと思った。けれどその後に「また」と言っていたので、あぁちゃんと生きて償うつもりなのかなと思い直していた。

私の中ではこのように勝手に伏線が張られていたので、討ち死にと聞き、死に、心の隙間に入られて導かれてしまったんだなぁと。決して自殺ではないだろう、自ら死を“選んだ”わけではないんだろうけれど、その無念や罪悪感が死を呼び寄せてしまったのかなと。

 

龍雲丸の「どうして俺だけ生き残った」、直虎の「我もじゃ、でも其方を助けられたことだけはよかった。生きてくれてよかった」。生きていく意味なんて、誰か一人を少し救うくらいで、誰か一人にその存在をいてよかったと認められるくらいで、十分なのかもしれないなぁ。

「井伊は負けてないんじゃないか」「皆生きていて、民百姓も戦に出されてない」そう、井伊は政次の望んだとおりになっていて、それが嬉しいのだろうけど、「でも但馬を失った」という圧倒的な現実も同時にそこにある。残されて、生かされてしまって、切なくもあり。
「かしらはこれからどうするのじゃ」って方久に聞かれて空を見上げる仕草がとても龍雲丸だった。龍雲から名をとり、龍雲を見て井伊の家臣にならない道に進み。でもきっと、この時空に雲は浮かんでなかったんだろうなぁ…党がなくなって、道標がなくなってしまった。
龍雲丸と直虎は、同じ喪失感を背負う仲間だった。2人とも、もうこれ以上失いたくない崖っぷちに居る。その結果として2人が互いを必要とする。仕方ないといえば仕方ないし、運命だと思えばこれも運命。

そうだ、水筒の回収がここだったの、なんか良かったな。死んだあとに帰ってきたとかではなくて、生きていることを見つけるきっかけ。水筒は出会いの思い出で、それをずっと持ってたことを直虎が認識してる=共に過ごした日々の記憶、そしてまた未来への伏線、にもなるのか…?

 

政次の死後の呼び名が「但馬」である件について。
‬‪井伊を支える家臣但馬として、小野の本懐として、皆を守るための但馬の死を直虎含め井伊の面々は、徐々に受け入れられてきた。そして直虎(と、なつ亥之助)以外の者にとっての彼は「但馬」という存在が全て。だから「但馬の死」は1つだし、それを受け入れてしまえば泣けるし笑える。‬
‪でも直虎にとっては、有能な家臣である「但馬」の側面と、幼馴染の「政次」の側面がある。また直虎にも、当主・直虎と、一個人の女・おとわがある。「直虎」として「但馬」の死は、理解も納得もできる。けれど、「おとわ」として「政次」の死、ましてや自ら手にかけたことは、まだ受け入れて笑うには心が追いついてない。だから呼び方が終始「但馬」なのかしら、と思いました。(単純にその名を出すのが政次本人に向けてでなく対外的な場だから、という理由だけかもですが)‬

 
それにしても政次はほんとにほんとに、良い死に方をして良い描かれ方をしてる……。なんか、お前らあんなに但馬憎しって言ってましたのに!?そもそも小野家なんて大嫌いモードずっと醸し出してましたのに!?と思うくらい(笑) 死んでから名を馳せた画家かのように株が爆上がりしているww
ましてやモノマネ大会まで開催されて…。「但馬の真似も流行っております」、だいぶ笑ったし弥吉さんは直盛時代からずっと見守ってきたから上手いのかな…(笑)
直親は直虎の中に、但馬は皆の心に…。虎松を残した直親、子供たちの中に宿る政次……脈々と受け継がれる命に乾杯…。


予告で話題だった口吻シーン、あんまりにもあっさりしたただの薬の口うつしだったからなんの感情も湧かずスルーしたよな、、形式的な口吻よりも重なる手に心が動く、そんなドラマを、きちんと心が織り込まれたドラマを観ているんだなぁと感慨深い。

 

今後について「武田が怒った結果、井伊が余波で焼ける」くらいの知識しか持ち合わせていないのでとりあえずもう誰も死なないでということだけ願っています…!井戸とかなくならないで…!