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『いざよい』について

ライブの感想いい加減まとめてアップしよう…!と思っていたところに本当にタイミングよく、質問箱に「いざよいの感想を聞きたい」という投稿をいただきました。ありがとうございます。10月のライブ時の感想に加えて、今改めて考えたこと、『いざよい』について色々と書きます。

 

『いざよい』歌詞 

風の谷間に 聞こゆ声は
つたう葉の露 滲む月よ

 

いつかふたたび 巡り逢わんと
在りし日の姿を追う 恋しや 愛し君よ


十六夜 忘れがたし 溢るる思い
花は咲きぬれど 流る我が雫

 

見果てぬ 遥か願い 重なるほどに
一途はつれなき夜 浅き夢乞う

 

雲の切間に 見ゆる空は
あの日の如く 清か月よ

 

静かにそっと差し出す手は なにより優しいぬくもり  
たしかにこの身を照らす 灯火 永久(とわ)に・・・ 

 

十六夜 忘れがたし 溢るる思い
花は散りぬれど 止まぬ我が雫

 

短し命の舞 重なるごとに
生きるは常無き世 ただ君を呼ぶ 浅き夢乞う

DISCOGRAPHY | KO SHIBASAKI - SING THINK LIVE - 柴咲コウ・オフィシャル情報 

 

まずライブで初めて聴いた時は、なんとなく1番が直親、2番が政次とのことをイメージした歌詞かなぁと思いました。「恋しや 愛し君」「一途はつれなき夜」とか、「月」「この身を照らす灯火」とか、「流る」と「止まぬ」の違いとか、なんとなく。
そうやってこの曲を考えていてひとつ気付いたことがありました。

直親は「井伊」のために死んだけれど、その「井伊」は直虎がつくった井伊ではなかったんだなぁということ。共に守りたかった井伊ではあったけれど。対して政次は、「直虎がつくった井伊」を守るために死んだ。…ずっと、直親と政次の死の差はなんだろう、政次の死に対して明らかに直親の時よりも直虎がダメージを受けているのは、過ごした時間の長さ以外に何が違うのだろう、と考えていて(もちろんその時間の中で関係性が確立されていったというのは大前提ですが、私の中でしっくりくる答えを探していた感じ)、その答えがこれかも、この違いなのかも、と。
共に守りたかった同志であり、互いに「もうひとつの饅頭」であった直親。あくまでこの2人は別の存在であって、最初から「片方がいずれ消える可能性を含んだ存在」だった。対して、政次とは「半身」であったり、「片翼」であったりと、「同一の個体」として存在する2人として描かれていた。政次の死は、「直虎のつくった井伊」を守るためということが明確であり、そのことを誰よりもわかっているからこそ直虎も自ら手をくだした。
政次は「最も血が流れぬ方法」として自らの命を犠牲にし、それはおそらく直虎との共通認識として通じていたものだったと思います。とすれば政次の死後、「井伊家の再興」よりも現状維持を続けようとする直虎の行動も理解できる。あのあと私には直虎が再興しない道を選んだのは、「再興したくない」と自らの意思で動いているというより「家のために命が失われる」ことがある種のトラウマとなって選び、進んでいる道と見えていました。でも、トラウマ的理由ではなく、「人々を守ること」が政次との最後の約束のようなものだとしたなら、それを全うしているだけなのかもしれない。

↑とここまで、10月時点で書いたものを編集したので、「もうそんなことわかりきっとるわぃ」みたいなことが書いてあってもスンっと流してください(笑)

 

そして今12月、改めて考えてみて。

当初、1番が直親で2番が政次っぽいなぁとなんとなく思っていたけれど、何度も聞いたり歌詞を読んでいて、全部政次でもいけるなと…(笑)むしろそっちの方が多数意見ですかね。。
というか、これは「直虎」を演じた「柴咲コウ」という人物が描いたもので、直虎の言葉ではなく「柴崎コウ」さんの言葉として受け止めるとすると、柴咲さんは政次が好きだったんだなぁと思った。(伝わるかなこれ……)

いろんな人への愛情やいろんな人からの愛情、共に過ごした日々が描かれていると思うけれど、「君」はもうここにいない。「在りし日」「あの日」は割と遠い過去、でもまだ夢に見る、夢に見たい過去。
タイトルが『いざよい』だから当たり前なのかもですけれど、「夜」の歌なんですよね。まだ明けてない。ある心の部分にとっては明けることのない夜だと思います。忘れられない。
今調べたら「十六夜」には「ためらう、なかなか進まない」の意があるらしく、もしかしたら生かされた命とどう向き合うか、考えている時期の歌でもあるのかもしれない。

短し命の舞 重なるごとに
生きるは常無き世 ただ君を呼ぶ 浅き夢乞う

この「重なり」には直虎自身も含まれているような輪廻転生みたいなイメージが浮かんで、それが前半の「いつかふたたび巡り合わんと」に返ってくるような感覚を持ちました。

 

直虎というドラマで描かれた命の儚さや尊さ、
有名無名関係なく、誰かの命は誰かにとっては全てを変えるほどの存在で、ひとりひとりがその「誰か」にとっての「誰か」に成り得る、みたいなこととか
とにかくいろんなことを解釈できる歌だなぁと思います。
古語の言葉づかい(?)なので、読み方を間違えている部分があるかもしれないとは思っている…詳しい人に解説してほしい…。。

 

曲の解釈ひとつにしても、直虎と政次の関係ってなんていうか深すぎてアレじゃないですか、恋なの愛なの何なのよ…って。(笑)
私は政虎好きだけどちかとわ(?って言う?直親とってどう言う??)も政なつも好きなんですよぉ!派なので、10月当時にはこの曲を「率直に政次のことを想った歌だ!とは認めたくない!」って気持ちがちょっとあったりしたんですよね、正直。それを今日までドラマを観たり役者さんや脚本家の方のインタビューを読んだりして、ゆっくりと2人の関係や感情を考えることができたし、結局「誰もこの2人の関係を定義できない」ということに気付いたりもしました。「めっちゃすごい愛」としか言えない(笑)

「答えはひとつとは限らない」がこの2人の解釈にとってもベストアンサーなのだろうと思っていて、きっと観る人それぞれの中にそれぞれの「直虎」像や「政次」像があるんだろうなぁと思うと、ほんと作品ってすごいなぁ~!!!!って、思っています。

 

改めて、『おんな城主 直虎』とってもとっても面白かったし、出会えてよかったなぁと思う作品!…まだ終わってないけどな!最終回来てほしくないけど楽しみです。

最後『いざよい』についてじゃなくなっちゃったかもだけど、ひとまずこのような感じで。

お読みいただきありがとうございました^^

 

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