ゆめをたべてく

いろんな好きを掛け持ちする飽き性

映画『十二人の死にたい子どもたち』※ネタバレ

1/25、さっそく観てきました。面白かった。

それぞれのしにたい理由を持った子どもたちが集まり、“13人目”を巡って徐々にいろんなことが明かされていく、少しずつめくられていく、皮がはがされていくような物語。「死」を考えることはつまり「生きる」とはなにかを考えるようなもの。この映画を観たり、この物語に触れることでひとりでも「しにたい」と思う人、特にそういう若い人が、減るといいなと思いました。

以下、ネタバレ込みの感想となるのでくれぐれも注意してください。









 




 

 

すごくいい映画ですごくいい物語だった。
驚きと共に大どんでん返しがあるような話ではないが、(大きなことが起こっているとしたらもう最初、集っていることが大事件だし13人目の存在が大事件)紐解かれたそれぞれの理由と、13人目=ゼロバンを巡るそれぞれの関わり合いが見事な、緻密な映画だった。

「死にたいけど、殺されるのはイヤ。」ってコピーがあったけど、パッと目に入って受ける印象(「安楽死」を求める子どもたちの話と聞いていたので、痛かったり辛かったりすること含めた殺される恐怖でイヤなのかな?というイメージだった)より、このコピーめちゃくちゃ深い。保険金が入らないように「自殺じゃないといけない」だったり、抗議の意思を知らしめるために「自ら選んだ」ものでないといけなかったり。
そもそもみんな「ただしにたい」わけじゃない。「死」という結果を求めに来ているわけじゃない。それぞれの「しにたい」にはその背景から来る本当の気持ち、「しにたい」っていう結論に至るまでの動機がある。言い換えるとするなら、


1番サトシの「しにたい」は「知りたい」
2番ケンイチの「しにたい」は「逃げたい」
3番ミツエの「しにたい」は「追いたい」
4番リョウコの「しにたい」は「莉胡でいたくない」
5番シンジロウの「しにたい」は「自分の意思で選びたい」
6番メイコの「しにたい」は「忘れられたくない」
7番アンリの「しにたい」は「抗議したい」
8番タカヒロの「しにたい」は「もうやめたい」
9番ノブオの「しにたい」は「暴露したい」
10番セイゴの「しにたい」は「利用されたくない」
11番マイの「しにたい」は「終わらせたい」
12番ユキの「しにたい」は「楽にしてあげたい」


みたいな、そういう思いを突き詰めて、悩んで考えて、選んだ末に、この集いに来た。
最後、集いの中止に賛成することはその選び抜いた自分を否定することでもあるし、死ぬことを選んで向き合うことをやめた現実にまたぶち当たることでもある。つらくてつらくてここに来たのに、ここを出ることがどんなに怖いことか。
それでもみんな笑って、太陽の下に自分の足で歩いてそれぞれの道を歩き出していった。
その結末を「よかったなぁ」と思える自分で、よかったなぁと思う。

 


それぞれの人物について。

 

1番 サトシ(高杉真宙
「死に取り憑かれてしまっている」ということは言っていても、最初から最後まで自らが「しにたい」という意思は示していなかったような気がする。主催者としての中立さ、何を考えているかわからなさがすごくよかった。目が虚無な微笑みの仮面かぶった高杉真宙、めちゃくちゃよかった。
集いを何度か繰り返していることについて「何で死にたいのかを知りたい」と言っていたけれど、それはきっと父親が死を選んだ理由や思考を知りたいのかもしれないし母と兄が無理心中を図った理由を知りたいのかもしれないし、それを自分の中で納得させたいのかもしれない。ある程度の理由はわかっているのに、そこから「死」に辿り着く過程を探しているのかもしれないし、または「“自ら死を選ぶのを理解できない自分”を肯定したい」のかもしれない。サトシが何度集いを行ったとしても、「実行」は成されずに、いつかサトシ自身が「生きる」ということに道を見つけられたらいいなと思う。

 

2番 ケンイチ(渕野右登)
空気の読めないキャラクターに乗せて私たち観客の気持ちを代弁するような役だったのかなと思う。彼の反対から全てが始まっていった。彼の「ちょっとまって!?」が物語をゴールまで繋げてくれた。そんなバトンのような存在だった。
彼の周りに、マイやセイゴのような、少しでも彼の味方、彼の仲間側の目線で接してくれる人がいたら全然違った学校生活が送れたんだろうな。あんな明るい子が「しにたい」と思ってそれを行動に移すまでのいじめと思うと、本当に学校という隔離された世界はしんどいし、知識をつけるだけの勉強なら学校行かなくてもいくらでも出来る方法があるんだし、もっと幅広い選択肢がわかりやすく示される世の中になるといいよね…。

 

3番 ミツエ(古川琴音)
4番 リョウコ(橋本環奈)
この2人はセットというわけではないけど、裏表というか、一緒に語りたい2人。
大好きな芸能人が自殺して後を追いたいミツエと、芸能人である自分を消し去りたいリョウコ。
「しにたい」と集ってきたのに、自分もそう思ってそれ相応の覚悟でここに来たのに、リョウコの死を止めるために、「彼女が棄権するまで実行はしない」と宣言するミツエ。自分の「しにたい」より彼女に「死んでほしくない」が勝つのは、面白い感情というか、人間の不思議なところというか、こういうのが優しさや思いやりなのかもしれないし、おせっかいや余計なお世話なのかもしれない。
リョウコの「大人たちによって作られた“商品”よ」「そんなものに命をかけるなんてバカじゃないの」って台詞には、そりゃそうだ、って思うと同時に胸が痛くなるような思いがした。私たちが好きになっているのは「商品」なんだな…と。重々わかってるつもりだしわかってて楽しんでるつもりだけど、それに人生や生活をかけるのは「バカじゃないの」って言われるようなことなんだなぁと。そんな風に彼ら(推し)に思われてんのかなぁ、と。まぁ、思われててもいいか……彼らが望んで「商品」を続けてくれるのならそれでいいか。
逆にミツエの「あんたたちは夢なんだ」「普通の命とは違う」ってのはわかる~~~~って思う。命の重さは違う。ただそうやって、リョウコが、「秋川莉胡ごと消すしかない」って死にたくなるくらいの重圧や利用価値を、今自分たちも誰かにかけているのかもしれない。いちファン側の人間として、もしかしたら間接的にでも自分(たち)の乗せた重荷が推しを殺すかもしれないと思うと、怖いなと思った。映画を観る前からわかっていたことではあるけれど改めて胸が詰まるし、どうか芸能人のみなさまにおいては「自分の人生」をいちばん大切に生きてほしいなと思う次第。ファンが悲しんだとしてその感情はファンひとりひとり自身のものだから。それぞれで解消していくしかないから。私は「私の意思で追いかけてる」し、好きなことを、それで派生したいろんな感情を、誰かのせい、相手のせいにしたらいかんなと思った。
この2人の言い合うシーンはすごく苦しかったけど好きなシーンでもあった。橋本環奈のあの美しい顔が歪むほど叫んでいるのもよかったし、ミツエの広島弁もよかった。

 

5番 シンジロウ(新田真剣佑
この映画で何にいちばん驚いたかってシンジロウの推理力だよね、解き明かしていく過程(なぜそれをシンジロウがわかったのか、どういう思考を辿って、気付いた事実から推理を導いたのか)をひとつひとつ丁寧に明かしていったわけじゃないから、いつの間にかシンジロウがわかってたのがびっくりした。あ~~でも今書きながら気付いたけど、シンジロウの推理が当たってたのはシンジロウ的には結果論だし、回想みたいにアンリとノブオの映像が入ったから事実っぽかったけどあの時シンジロウが話してるあの場では、まだ2人以外にとってはあれはただの「シンジロウの推理」でしかなかったのか、なるほど。それにシンジロウが気付いた瞬間を解説してしまうとそれは推理モノになっちゃうし、完全にシンジロウ主人公のメインの映画になってしまうからな…。十二人を取り上げた物語だからあれでよかったんだな、うん、なるほど。
シンジロウは、マイに「同じだよ」と言った。この一言が私の中ではこの物語で伝えたいことの核だと思っていて、みんな、それぞれ自分の悩みや考えや環境を、知ってもらって、最悪な状態をそれ最悪だねって言ってもらって、悩んでることを「悩んでていいんだよ」と肯定して認めてもらうだけでも、生きていけるのかもしれない。死にたい子どもたちが死にたい子どもたちではなくなるのがこの話のゴールで、その先頭を走るシンジロウはいちばん「死」に近い人間でありながら、だからこそ、「生」を肯定する姿が見ていてとても美しくて、切なかった。

 

6番 メイコ(黒島結菜
父親にとらわれてる女の子だった。下手に賢いあまり、自分が、かつて父親に捨てられた母親たちのように必要ない存在に成り下がったことに気付いてしまったんだろうなぁ…。自分が死んで保険金を残すことで父親に自分の存在を刻み付けようとする、その邪魔となりそうなノブオを排除してまで実行しようとする、その迫力、意志の強さがすごかった。でもノブオが戻ってきたときに咄嗟に扉を閉めてしまったところに成熟しきっていない若さを見た気がする。
最後、みんなが集いを中止することに賛成する中、メイコはぼろぼろと涙を流す。父親が自分を必要としていないことに本当は気付いていたけど必死に見ないふりをして強がってようやくこの日を迎えたのに、中止に賛成することは必要とされていない現実とまた向き合うってこと。そのことを明確に考えて泣いてたのかはわからないけど、あの涙は、そんな現実へ帰る辛さはわかっていてだから確かに覚悟したはずなのに、今迷っていて賛成する気持ちのある自分に戸惑ったんだろうな。
さっさと解き放たれて、自由になれるといいなぁ。

 

7番 アンリ(杉咲花
アンリさん…!! や~~~~~よかったよね、杉咲花ちゃん、よかったよね…。強くて、自我がまっすぐにあって、頭の良い人なんだろうな、アンリさん。キャラクター的にめちゃくちゃ貫禄があって、それを演じる杉咲花ちゃんの「女優…!」な雰囲気、この子はゆくゆくは桃井かおりになるな…と思った。すごい女優みあふれる女優になると思う。トーク番組とか舞台挨拶とかの素で喋ってる時とのギャップもいい。
アンリさんずっとよかったけどやっぱりあの扉を閉める閉めないのところのメイコとの対決、杉咲花黒島結菜の対決が最高。この2人の対決シーンだけでも見どころとしては十分、千いくら払う価値のある映画だと思った。そのくらいあの女優対決はよかった。
セイゴに言った「母親だってアンタが自殺したからって別に悲しまないよ、ちょっとした誤差程度のもんよ」ってのが痛烈ですごく好きな台詞だったんだけど、アンリの過去を聞くと、もしかしたら「自分(と弟)は母親にそんな風に思われてた」って思ってるから出た言葉なのかもなぁ。
席の位置からもわかるけど、サトシと対になる存在で、表裏で、この2人、カウンセラー業とか始めたらいいコンビになりそうなのになと思った(笑) 最後「また」って言って番号札をとって帰っていったのがよかった。「7番」である限り、「実行」を選べる。

 

8番 タカヒロ萩原利久
毒親に自己を侵されて、親が否定する自分を否定しているような子。アンリからしたら、武器も盾も与えられず丸腰で戦場に放り込まれてるようなものだろうな。戦う術を知らないままここに来てしまった。
でもここにいる時のタカヒロはちゃんと自分で気付いたことを発信できるし、意見の言える人って印象を受けたから、いつか彼自身が親の言葉は絶対じゃないことに気付いて自分で自分を肯定できるようになればいいなと思う。
あと彼がノブオの「意外と広いね」の真実に気付いた瞬間の、スーーッ、デデン!って顔に寄っていくカメラワークがもうめちゃくちゃ金田一!だった(笑) 金田一というか堤監督あるある…?

 

9番 ノブオ(北村匠海
実行犯ノブオ。最初の「意外と広いし」ですぐコイツ何か知ってるじゃ~~ん!!ってなってしまったから、ちょっと推理モノに慣れすぎたと思う、自分が。 屋上での「そうだよ」には、おまえかーーい!あっさり認めるんかーい!って思ったけど、結果的には半分正解で半分間違いだったわけですね。
ノブオの「人を殺した」って過去の独白は、しにたい理由としては比較的理解しやすいもので、なるほど、と。「なんでも人並み以上にできて、そういうのが嫌味だったのかな」っていう台詞の言い方がもう本当にいじめたくなる気持ちがわかるくらいめちゃくちゃ嫌味で、この一言にあんなにも嫌味さを醸し出す北村匠海の芝居に惚れぼれした。
「あっさり事故として処理されちゃってさ」っていうのは「警察が真実を見つけてくれるとは限らない」ってことで、それを実感として知ってるノブオが冒頭のゼロバンが自殺か殺人か警察はどう思うか…って話をしてた時に何を言っていたかをもっかい確かめたい……記憶にないのが残念すぎる。こういう観点で、全てを知ったあともういちど観たら、また違った面白さのある、作品としての上手さに気付く映画なんだろうな~と思う。
一応北村匠海くんきっかけでこの映画観に行ったので、途中でノブオが落とされて帰ってこなかったときはまさかの途中離脱!?次出てくるの死体!?ってどうしようかと思ったけど無事生きて帰ってきてよかった。
シンジロウことまっけんが変な声を出すシーンがあることは事前に知ってて、該当のシーンで「ここか!」と思ったんだけどそのあとのギョッとしたノブオの表情が最高によくて、「台詞のない北村匠海の芝居が好き」っていうまっけんの言葉に5億いいねしたくなった。あとリョウコの素顔を見て「…びっくりするくらい可愛いね」って言ったところもすごい好きだった。あの淡々とした言い方…! 北村匠海の声が好きだってことは前記事で散々言ったけど、声含めの北村匠海の芝居が好きだわってこの映画で改めて思った。そして確かに環奈は可愛い。

 

10番 セイゴ(坂東龍汰
「自殺」であることにこだわっていたセイゴ。母親に保険金を渡したくない、1年経てば殺される、だから今のうちに自殺であることがわかるように死にたい。こんな理由で死を選ばざるを得ないなんて、なんて可哀相な子どもなんだろう。「お金を渡したくない」っていう理由は逆に母親に固執しているようにも思えるけど、未成年で学生で、そうそう親から逃げられるものでもないし、「いつか殺されるかもしれない」って恐怖で生きていくのはさぞつらいだろうな。
ケンイチに対する優しさとかマイをたしなめる様子とか、見た目はわかりやすくやさぐれているけどきっと根はいい子なんだろうなっていうのが見えたから、どうか彼が楽しく生きていける環境が整うといいなと思う。

 

11番 マイ(吉川愛
バカだけどいい子だったなぁ。ケンイチのこともみんなのことも、否定するでも過度に肯定するでもなくてただまっすぐに見て受け止める子で、疑問はすぐ口に出して、疑問以外にもすぐ口に出すけど、そういう素直さをこれからもなくさないでほしいなと思える子だった。素直なばっかりの人って実際近くにいたらしんどいこともあるけど、みんながメイコみたいにありのままでいられて、自分の悩みとかしんどいことを「これで悩んでて何が悪いの!?」って言えるような、「何も悪くないよ」って認め合えるような世の中になったらいいなぁと思った。
メイコとケンイチとセイゴが同じクラスの幼馴染とかだったらめちゃくちゃいい名物トリオになるのになぁ。この3人にはここから出たあともちょくちょく会っててほしい。
吉田里琴ちゃんの頃から結構好きな女優さんなので、いつかその実力を爆発させるようなすごい怪演を観てみたいです。

 

12番 ユキ(竹内愛紗
犯人、お前か~~~~~い!!!!! いや犯人ではないけどね、犯人ではないけど。
全ての番狂わせはこの人から始まってた。自分のせいで事故に遭って、兄を植物状態にしてしまった、その辛さから楽になりたかった。楽にしてあげたかった。「死んでいいのか、兄を死なせていいのかという迷いを肯定してもらえたのは救われた」みたいなことを言っていたけど、そうやって「死」を肯定することで救われることもあるんだろうけど、でもやっぱりこの子が生きることを選んでくれてよかったなぁと思う。
「不幸な偶然に出会ってしまっただけ」、そう言われてそれですんなり未来が明るくなったわけではないだろうけど、これからも生き続ける道をこれからもずっと選び続けてほしい。手がうまく使えない身体的な、物理的なしんどさを感じるたびに自分を責め続けて生きてきたのは本当につらかっただろうな。「生きる」ことは未来があることだから、この子が何か希望を見つけられるといいなと思うし、いつか自分を赦せる時が来たらいいなぁ。自分を赦せないまま死ななくて本当によかった。

 

こうして振り返って並べてみると、1番が主催して2番が反対して3番が気付いて4番が聞いて5番が推理して6番が邪魔をして7番が協力して8番が見つけて9番が実行して10番が乗っかって11番が見つけて12番が持ってきた。本当にうまいことみんな絡んで成立した物語だな~! すごいな…。席の位置も、キーである7と1、5と9をつなぐと十字架になるし、6と8は親に囚われた者同士の対になってるし、3と4は隣り合わせだけど言い合うシーンの時ミツエは正面に回るのね、そういうのたぶんいろいろ考えられて作られてるんだろうな~~!
いろんな意図が各種に仕込まれた、ものすごくよく出来た作品であることは間違いないなと思います。堤監督だし。ところどころ差し込まれる外の風景、嵐の明けた最後の空がめちゃくちゃ綺麗だったな。

 

ここで少し物語ではなく中の人について。
12人の面々について、名前がわかる人が7人、わからない人が5人いて、北村匠海きっかけ、つまり出演者のネームバリューによって作品に触れた私が言うのもなんだけど、物語を楽しむという意味ではいつか高橋一生さんか斉藤工さんが言っていた「俳優本人の存在っていうのは芝居には邪魔」みたいなのがよくわかる作品だったなと思った。知らない4人は役としての入りだから100%役として見られたけど、他はやっぱりどうしてもまっけん顔がお綺麗な…とかって思ったもんね……。でも高橋さんは「作品を観てもらうためには自分の名前を売らないといけない」というようなことも仰っているし、芸能人のファンをしていてそれをきっかけに素敵な作品に出会えることは楽しみのひとつでもあるから、名前が売れてかつそれを越えるような役としての存在感を感じられるとこちらとしては嬉しい。
知らなかった4人について、ケンイチこと渕野右登さん、よく見たら(っていうのは失礼かもしれないが)大変整った顔をしていた。しょぼんとした顔がよかった。ケンイチ役めちゃくちゃよかったから、今度はちょっとウザいけど人気者の役で見れたらケンイチも報われそう(笑)
ミツエこと古川琴音さん、めっちゃゴスロリ似合ってたし声のキンキン具合が格好と合っててとてもよかった。お名前でググったら同じ事務所所属が樋口可南子安藤サクラ門脇麦岡山天音岸井ゆきの桜井ユキ、…って面々でなんかみんな顔似てるし芝居でぶん殴ってくるタイプの人たちばかりで、ここに名を連ねる古川琴音さんの今後ちょっと楽しみだなと思った。
タカヒロこと萩原利久さん、今調べて気付いたけど金田一のあの部員の子か~!!!だからタカヒロに寄るところ金田一っぽさ入れてたんかな!?そういうことか、堤監督の愛あるセルフパロディみたいなものだったわけか…。 他にもいろんな作品出てるみたいだし、背も高いし、頑張ってほしいと思う。根暗な役とか嫌味なエリートリーマンとか似合いそう~~!
セイゴこと坂東龍汰さん、見続けているとどんどんイケメンに思えてくる不思議な人だった。それが役のせいなのかそういう顔立ちなのかはわからないけど(笑) まだこのお仕事初めて1年くらいらしく、それでこの映画への出演は財産だろうな~~と思うし、このメンバーの中にいて全然見劣りも浮きもしてなかったからその才能にも期待だなぁと。
ユキこと竹内愛紗さん、どっっっかで見たことある…と思ってたら、『明日の約束』の仲間由紀恵の娘さんだった…! パンフレット見てこれだ!と。2001年生まれって何年生まれ!?っていう若さですし、次は目が死んでない役で見てみたい。


物語の感想に戻ります。
ノブオの台詞で「死ぬのはもういつでも出来る。ひとりでも」っていうのがあったように、みんなそれぞれ死にたい理由があって、それぞれ何かしらの理由でひとりでは死にたくなかった。
紐解かれた理由には、共感(理解)できるものもできないものもあったけど、シンジロウがマイに「同じだよ」って言ったように、本来同じなわけないそれぞれの理由がその人にとっては「しにたいほどの重さ」で、それをひとりで抱えていることは「同じ」。他人から見たら「そんなことで?」って思うようなことでも、人は悩むし死にたくなる。
逆に、他人から見たら「そんなこと」になるくらい、誰かの悩みは誰かが簡単になんとか出来ることなのかもしれない。セイゴがケンイチに「いじめてる奴らに俺が言ってやってもいいんだけどな」って言ってたけど、たったそれだけでケンイチの死ぬ理由はなくなるのかもしれなくて、そんな風に、すぐ近くに、端から見たらすぐに見つけられる別の道があるのかもしれない。

集まって話し合うことで、「端から見たら」っていう目線や「そんなことで」って思える回路を子どもたち自身が持つことができる。つまりは選択肢が増える。この集いは、死を実行させる道にも生をつなぐ道にもなる。
ところどころに出てきた影たちはこの時以前に行われて、帰って行った過去の集い参加者。まさに「影」であって、12人のような子どもたちが他にもいた・いるということ。サトシ以外の顔や人物像が明かされなかった影たちは、私かもしれない誰か、なんだろうな。

 

これは子どもたちの話だったけど、日々生きるどんな人にも当てはめることができるような心の揺れ動きを描いてたように思う。

でも、同時に、「子どもならでは」の理由も多かった。例えば親が理由の人たちは「親のもとから逃げ出せばいい」っていうのが正解なんだろうけど、それが出来ないのが「未成年」っていう立場。学校もそう。本人たちも家族や学校の世界が全てではないことはわかっているのかもしれないけど、それ以外の世界に自分が行く方法を見つけられないと、結局は今の環境が全てになる。親や利用する大人たちと縁切ればいいのにって大人になった私は思えるけど、実際、未成年で自分で稼ぐ手段がわからなくて自分で家を借りることもできなくて、生活の方法がわからなかったら「大人」とは離れられないし、お金を持っていても未成年が出来ることには限りがある。「他の選択肢を知る術がない」のあとに「知っていても選べない」現実がある。そういうところが、「子どもたち」を描いている独特のうまさ、あのキャラクターを取り揃えたこの物語のすごさ。
大人になってからこういうの観ると、「大人」ってなんなんだろうって思うな。

 

12人の話はフィクションだけれど、実際この現実に自殺は存在していて、いじめや過重労働による自殺のニュースを聞くとすごくしんどい気持ちになるし、どんな理由であれ自らの死を選ぶ人たちが、何か他の、「死ぬ」以外の選択肢に出会えていたらな…と思う。ひとりでも自殺で命を落とす人たちがいなくなってほしいなと本当に思う。
実は私にも、親戚に自殺した人がいて、年に1回会うか会わないかの私ですら「家族は、私は、その人の支えになれなかったのか」と思った。自殺ってのはその人を大切に想う人の心を殺すんだと思った。一生責め続ける地獄に落とすもの。でもきっといじめてるやつらは、過労死に追い込んだ奴らは、改心なんてしない。だから死ぬくらいならその原因から逃げてほしい、学校なんて何年留年したっていい、社会に出たら5歳差くらいは同世代だし引っ越しで家族を巻き込んだって地獄よりはきっとマシ。会社なんて辞めればいい、生きてさえいればどこかで働ける。死ぬ以上に周りに迷惑かけることなんてない。
……そうやって思うけど、実際にはきっと、お金がなかったり、死にたいほど辛いことが周りには伝わらなかったり、改善する方法がわかってもすぐ行動に移せなかったり、そういう些細な日常に紛れて時は過ぎていって、気付いたら死以外見えない崖っぷちにいてしまうんだろうな。

自分の辛さを誰かに知ってもらって、「そういうものなんだよね」って言ってもらって、誰かの辛さを「あなたもそうなのね」って思えて、自分だけじゃないかもと思ったり、そういうことで人って生き続けられるのかもしれないから、だから、ひとりで死のうとしないでほしいなぁ。

 

パンフレットの裏表紙、「13」の札。これはもしかしたら、これを手にとった私たち誰でもが「13番」に成り得るってことなのかもしれない。顔の見えなかった影たちのように、誰もが集いの参加者になる可能性はある。誰もが死に向かって生きているからこそ、「生」を肯定する道がそれぞれに見つけられるといいなぁと思った。

 

 

 

 

 

 

 


ハイ、全体的に「かもしれない」祭りでお届けしましたが、以上感想でした。あ~~~まとめるのに半日かかったー!(笑)


大変面白い作品でした。観れてよかったです。きっかけとなった匠海くんを選んだ方々も、出てくれた匠海くんもありがとう。
ここまで1万字オーバー、読んでくださった方もありがとうございました!!
それではまたどこかで。