ゆめをたべてく

いろんな好きを掛け持ちする飽き性

嵐へ

あえてこの表現をするが
長すぎた青春をありがとう。

この“長すぎた”青春は、彼らの途方もない努力によって成り立っていたのだと今更ながらに思う。
限りある人生の、何年も何十年も、「嵐」に、「ジャニーズ」に、「アイドル」に捧げて、きっと本人がそれを望んで選んで決めて、だから私たちは彼らの夢のおこぼれに預かれただけなのかもしれないとわかっていても、それでも、それにしても、大きな大きな夢を、青春を、5人は私に、大勢のファンに、日本中に、くれた。
人間の姿と人間としての生活、きっと嵐であることを選ぶときに捨てたものがたくさんあるんじゃないかと、想像の域を出ないけれど、そう思う。どんな人の人生も取捨選択によって歩いていくもので、彼らだけが特別ではないけど、「誰かの」「ファンの」ために歩いてくれたその時間に対して、恩返しをいくらしてもしたりないなと、思ったりする。

私は運良く2018-19のカウコンに参戦できたのだけど、あの時バルコニー席から見た『A・RA・SHI』や『感謝カンゲキ雨嵐』のドームの一体感を、ペンライトの光が揃って踊るあの景色を忘れられない。あれだけ様々なグループのファンが集う会場で、ドームをひとつにする嵐の“すごさ”を、あの時わずかな時間だけでも体感できて本当によかった。この時強く「嵐のライブに行きたい」と思ったものの、結局これが最初で最後のナマ嵐になった。それを少し残念に思う気持ちと、あの空間にいられただけでもめちゃくちゃ幸運じゃないかと思う気持ちが休止発表が行われてからずっとないまぜになっていて、でもやっぱり、ほんの数十分でも彼らのライブの姿を観られたことは、この先もずっとちょっとした自慢であり続けるのだろう。

 

今日をもって長すぎた青春からは、5人も、ファンも、いったん卒業になる。
この2年をかけて丁寧になされた卒業式のひとつひとつが、暖かくて、ありがたかった。
個人的には、本当なら(という言い方はおかしいけれど)、SMAPを始めとする様々に形を変えたグループ全てに、新しい道を歩む決断をしたアイドル全員に、こんな風なお別れの儀式や謝恩会のようなイベントがあったならと思わざるをえない。けれど、それも含めて彼らや事務所の決断だし、運やタイミングや、いろんな事情があったのだろう。世の中仕方ないことはたくさんある。
だからこそ、嵐がこのような2年間を届けてくれたこと、新型コロナというアクシデントの中でも届けることをやめず今日に至ることが、私はとても嬉しいし、嵐と一緒にこの時代に生きていてよかったなと思うのだ。

 

かつてSMAPがいた日常と地続きに私たちは“普通に”生きている。変わるものも変わらないものもある中で、これからも生き続けていくのだと思う。
そして私はきっと、たびたび、この嵐がいた青春時代を眩しく思い出す。自分自身の生活に、思い出に結びついて離れない嵐という存在に、いつまでも感謝し続けるのだと思う。

嵐にしやがれのコメントで吉永小百合さんが仰った「いつか同窓会を」、この表現が私はとても好きで、いつの日かそんな再会があるのならぜひ見たいと思うし、嵐としてだけではなく、メンバー個々それぞれに素晴らしいエンターテイナーとしてきっとまた新しい未来を見せてもらえるのだろうと楽しみでもある。
何よりも5人が、5人の望む幸せを手に入れられる人生を生きてほしい。

 

 

嵐へ
どうか5人がこれからも幸せでありますように。
心からの、ありがとう。

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