ゆめをたべてく

いろんな好きを掛け持ちする飽き性

舞台『フェイクスピア』

舞台『フェイクスピア』の感想と、この舞台を介していろいろ考えたことを書きます。
ネタバレ込みです。CSにて映像配信(?)があるらしいので、もしこれから観る予定のある方は読まない方がよきかと。

www.nodamap.com

 

 

私が観たのは東京、大阪各一公演ずつの計2回。

初鑑賞は6/20(日)。この日が初観賞で、ネタバレを避けてほとんど事前情報を入れずに観た。
正直理解しきれない部分もあったものの、だんだんと点と点が線に見えてくるような展開がとても面白い舞台。そんな感想だった。
そして、「シェイクスピア作品の知識があればもっと面白かったと思うので、次観るまでに学んでいきたい」とTwitterに投稿していた。
同様に投稿した中に「言葉や心という人生で大切なものについて考えさせるような舞台だった」、手元のメモには「言葉とは心、神様が人間にだけ与えた」「生と死の境界線」「飛行機→パイロット」などと書いてあるものの、この時点で私はこの舞台が現実の出来事の一部を使って作られたものだということに、気付いてなかった。
うっすらと、過去にあった事故をモチーフにしてるのかな?くらいの認識だったように思う。

私にとってこの事故は生まれる前の出来事で、ニュースやなんかで見て知識として「こういうことがあった」という事実は知っていたけど、ほんとうに「昔飛行機で大事故が起きた」くらいの浅い認識でしかなかった。自分が現実として見聞きした出来事ではなく、でも日本の歴史として学校でしっかり学ぶほど遠い過去ではない(今は教科書に載っているのだろうか?というか私の時も載ってたのかな)ような、「少し前」の出来事って全然知らないものだなと今回調べて改めて思った。普段ドキュメンタリー番組はほとんど見ないし、たまたまこの事件を扱った映画や小説なども、触れてこなかった。

だから、舞台の捉え方が変わったのはTLに流れてくる感想を読んでからだった。
私とそんなに変わらない(と思われる、結局実年齢を知らないので予想でしかないんだけど)、たかだか数歳しか離れていない少し上の先輩たちは、「自分の記憶」の中にこの事故があった。事故を知らない私とは感じ方が全然違っていた。「8月12日」その日付だけで気付ける知識も記憶も私にはなかった。
私が感想を読んだ人たちがたまたま強く記憶していただけだったのかもしれない。けれど、そういう方たちの感想を読むにつれ、じわじわと「これはもしかしてとんでもないものを見せられていたのではないか?」という感覚が迫ってくる。

なんとなく、仮に自分の記憶にある大きな出来事で置き換えてみたら、3.11を題材とした作品をそうであると予告なく見せつけられた感じだろうか? まずそう考えた。でも、災害と事故は趣が違う。じゃあ9.11テロ? 確かに驚きはするだろうが、これもどこか違う。意図して引き起こされた人災と、事故はどこか違う。

違う出来事で置き換えたところでしっくりくるわけがないし、当然今から自分の記憶を書き換えられるわけでもない。でも知識不足は補える。だから改めて勉強をした。ノートに、名称、日時、概要を記し、まとめていく。(閲覧元がWikipediaなことはこの際許してもらいたいw)
機長、副操縦士航空機関士、客室乗務員。現実に生きていた人たちの名前。残されたボイスレコーダー、30分の音声。現実に存在していた、命。
事故について知っていくうちに、舞台のあの最後(おそらく)30分間が蘇ってきた。あれは、この音声のことだったのか。ノンフィクションってそういうことか。野田さんのチラシにあった「コトバの一群」は、とんでもないところから引用されたものだったのだと、私は鑑賞から何日も経ってやっと気付いた。


“ノンフィクション”の意味を知って少しだけ勉強をしてから観た2回目。7/24(土)昼公演。

冒頭すぐに「6時56分」というワードが出る。まじか。こんなところから、ピースは落とされていたのか。
「永遠プラス36年」、「8月12日」、「飛行機」、探知機はきっと散った飛行機のパーツで、そして、「524人」。
きっと私が気付いてない(覚えていない)、もっとたくさんのピースがあったのだろうと思う。

例のコトバが始まってから、ずっと鳥肌が立っていた。なぜかはわからない。私は結局「泣ける」とかそういう感情には至らず、というかあの時の感情を説明できる言葉が今の私の中にはなく、ただただ、残された声は「生きようとした人の声」なんだなということを受け止めるしかなかった。

神の使い=使者=死者。神様から奪った「死」。神様の元に帰らない、音。

定年を過ぎたタノが3歳のときに亡くした、その出来事が「36年前」であるはずがないので、きっとこの物語は2021年からすると未来の、「永遠」の中のどこかの時空の話なんだろうなと思う。


タノ、死んでいこう。
楽しんでいこう。
「生きる」という息子の声に笑う父親。

生きようとした人の言葉は、直接的に「生きろ」とは伝えない。
でも、もしかしたらどんな「生きろ」よりも、生きようとしたその想いこそが人を生への道に導くのかもしれないなぁ、なんて思った。


終わってから考えたこと。
今回のことは、自分の「無知の知覚」と「それによる捉え方の変化」を味わった体験だった。この感覚は久しぶりで、「知らない」ということはこんなにも物事の見える側面を曇らせているのだなとしみじみした。知らないことは怖い。
ただ、世の中「知らなくていいこと」というのも少なからずあって、そのバランスをとるのはきっとすごく難しいんだろうけど、なるべく、出来る限り、知ることで世界を広げていけるような自分でありたいな~と思う。

ところでこの舞台、「シェイクスピア」と「事故」との間にもうひとつ、「星の王子様」というモチーフが出てくる。
「大切なものは目に見えない」 父が息子に語り掛けるこの言葉の意味。
目に見えない言葉(音)への尊さみたいなものを説きながら、同じ舞台上で「元々目が見えない人にとっちゃ関係ない」と皮肉る。当然演劇も「目に見える」娯楽であり、コロナ禍で奪われながら改めてその大切さとか、大切にしたい人たちの思いを募らせていこうという中であえてこの言葉を(モチーフを)ぶつけてくる面白さ。
この舞台、そこかしこに笑いがあり確かにエンターテイメントでありながら、複雑な感情や人間の多面性が絡み合って、まさに人生だなと思った。舞台は人生。すごいね。


『フェイクスピア』というタイトルは「フェイク」と「シェイクスピア」を掛け合わせた造語だろうが、でもその裏には村岡希美さんがインタビュー動画で語っていた「スピア(spear)=槍」のようにこちらを刺す意図があるのかなと思うと、タイトルだけでも大層“深い”舞台で、怖いくらい。更に、「フェイク」は音楽用語では「もとのメロディ・ラインを崩した演奏のこと」を差す。もとの現実での出来事を崩し少し違うメロディを辿りながらなぞったような舞台だったなと思い、ここまで来たら舞台上部に掲げられていたタイトルのRの文字だけがひっくりかえっていたのも何か意味があるんじゃないかと疑ってしまう。どこかで明かされていたら教えてください(笑)


あと思ったままの感想をちょろっとTwitterにも書いたかな?)
・幕が通り過ぎると場面が変わっている舞台演出(美術?)のテクニックには素直に驚きと感動。あれほんとすごいよね!?!?!?
・脳内3%くらいはずっといっせーさんの「髪の毛ふぁふぁ、、汗……、手の血管んんんんんんん!!(興奮)」って思ってましたごめんなさい笑 白シャツもとてもすきだった。
・東京カテコで1回目で入れ替わって後ろに行った時に橋爪さんが靴紐を結び直してるのを見て笑ってたのがナチュラルイッセー!って感じでなんかよかったです(笑)
・お勉強の途中で坂本九さんが(合唱曲だと思っていた)『心の瞳』の作詞作曲者だったことを始めて知りました。へぇ。

 


大勢が同じ空間で同じものを楽しめる機会が以前より減る中、笑ったり見入ったりする時間をあれだけの人と過ごせたのはとても素敵な経験で思い出になったなと思います。
またあんな時間が過ごせるように、明日からも生きるぞー!

舞台や演劇、エンターテイメントの未来が明るく希望にあふれて続いていくものでありますように。

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